2020年2月13日木曜日

ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか

現在、ホモ属はジャワ原人やデニソワ人等の24種は既に絶滅しており、ホモ・サピエンス(現生人類)の1種のみが生き残っている。*1

ネアンデルタール人も既に絶滅してしまっているが、サピエンスよりも優れていた点はいくつもあった。例えば、彼らの脳容量は平均1550ccにもなりサピエンスの1350ccよりも大きい。*2 

※NHKスペシャル『人類誕生』第2集より

脳の形から、見たものを処理する視覚野の部分が大きいので、視覚に関係する能力はネアンデルタール人が勝っていたのではないかとも言われている。*3
また、サピエンスよりもやや背が低かったものの、がっしりした体型だった。そのため狩猟は大型動物に武器を持って直接襲いかかる接近戦を行っていたらしい。
「もし1対1で喧嘩をしたら、ネアンデルタール人はおそらくサピエンスを打ち負かしただろう。」という指摘もある。*4

がっちり体型のネアンデルタール人(左)と華奢な体型の現生人類(右)。
※出典 : 『人類進化論 霊長類学からの展開』P.163


また研究の進展で定説の修正が必要になる可能性も出てきている。
ひと昔前までは「進化とは直線的なものである」という進化観を元に猫背だと思われていたが、最近の研究ではサピエンスとほぼ変わらず背筋がピンとしていたのではないかという結果も報告されている。


一昔前のネアンデルタール人のイメージ。サピエンスよりも猫背である。
※出典 : 『ニューステージ 新訂 生物図表』 P.204(2007年発行)

最近の研究をもとに復元されたネアンデルタール人。背筋がピンとしており直立している。
※NHKスペシャル『人類誕生』第2集より

脳も大きくがっちり体型なのに、なぜ絶滅したのか

2018年放送のNHKスペシャル『人類誕生』第2集では「ネアンデルタール人には社会が無かった」ことが原因だと解説されていた。すなわち集団での情報共有がないために道具の技術革新が進まなかったようだ。例えば発掘された石刃を年代順に比べると、サピエンスは時代が進むにつれて改良が進み鋭利なナイフ等を生み出していったのに対し、ネアンデルタール人の石刃は25万年もの間ほとんど変化が無かったらしい。

※NHKスペシャル『人類誕生』第2集より(一部改変)

ネアンデルタール人は10数人~20人の小集団で暮らしていたようで、同じ時期のサピエンスの150~300人に比べると少ない。霊長類では群れのサイズが平均50頭なので*5、ネアンデルタール人は霊長類の中でも集団サイズが小さいようだ。ただ、霊長類以外では数万匹~数億匹の群れで行動するイワシやサバクトビバッタ、時には10万羽以上の群れ(コロニー)を形成する例もあるというオウサマペンギンも存在する。またミツバチやシロアリ等の社会性昆虫のように形態の分化(頭部の巨大化や不妊化)によって労働カースト・兵隊カースト・生殖カーストと明確な分業体制が敷かれ、一見するとわが身を犠牲にして「利他行動」に走っているだけの個体が存在する種もある。これらの例を見ると群れのサイズが大きければいいというものでもなく、また単に「社会性」が存在すればいいというわけでも無さそうだ。

やはり昔から言われているように両者の分水嶺は音声言語能力の差ではないだろうか。
これにより環境への適応能力の差が生まれたのではないか。
言語を話す能力として必要なものは大きくハードウェアとソフトウェアに分けられる。

まずハードから見ていく。
同じホモ属のホモ・エレクトゥスは言葉が話せなかったと言われているが、それは脊髄の胸の部分が細いからだ。それに比べてネアンデルタール人はサピエンス並みに太くなっている。胸部で神経が増加しているのは声を出すときに胸部の筋肉や呼吸をコントロールするためだと考えられている。*6 また、舌骨の形からかなり自由に声を出せたと考えられている。しかし発声器官の構造として音が反響する空間が広いネアンデルタール人は明確に母音を発音することはできなかったようだ。*7
だから仮にネアンデルタール人が何らかの言語を話せたとしても、今の現生人類の言語体系とは異なるものだったと考えられている。

また脳の全体的な形も異なっている。ネアンデルタール人の方は上下に延びてつぶれたような形である。

頭蓋骨の比較。上がネアンデルタール人で下がクロマニヨン人。
ネアンデルタール人は長くて低く、クロマニヨン人は短くて高いことが分かる。
※出典 : 『人類進化論 霊長類学からの展開』P.162


大きさや形からの推測ではネアンデルタール人の脳は以前の人類と同じタイプで性能が向上している事が読み取れるようだ。だが、サピエンスは全体の性能は少し劣るが、新しいタイプの脳だという。*6 

また、別の研究ではネアンデルタール人の小脳は小さかったとされる。筆者の記憶では小脳は運動機能を司るという知識があったが、最近の研究では実際は同時に言語や学習(ワーキングメモリ)とも関係している事が分かってきたようである。*8 *9 
つまり、小脳の相対容量の差が言語能力の差につながっている可能性が高いということである。

次にソフトを見てみる。
FOXP2遺伝子に障害があると、大脳皮質の前頭葉にあるブローカ野という領域の活動が低くなり、会話や文法の理解に障害が出てしまう。だが、サピエンスとネアンデルタール人はこの遺伝子について共通のようだ。とりあえず、言語にかかわるブローカ野のソフトは問題なさそうだ。だが、ハードでも述べたようにネアンデルタール人の小脳の相対容量は小さい。つまりワーキングメモリの容量が少ないということなので、もしかすると言語アプリを使うのに必要なメモリ容量(作業机の広さ)が足りないということかもしれない。

以上の事実から考えると、サピエンスの誕生はそれまでのホモ属とは異なるアーキテクチャを持つ「人類脳 Ver2.0」リリースという認知革命が起きていたということなのだ。ハラリの『サピエンス全史』では、この認知革命によりサピエンスが宗教等のフィクションを信じるようになったとの趣旨だったが、例えば「平和」というような抽象的思考、概念操作はそもそも言語がないとできないと言われているので、おそらく言語の誕生と同時に認知の変革も生まれたのだろう。ネアンデルタール人の住居跡等の遺跡からはストーンサークルやはしごのような絵画が見つかっているし、死者の埋葬も行われているので、ある程度の抽象的思考は可能だったかもしれない。しかし、総合的に判断するとやはりサピエンスのそれとは次元が異なるレベルだったのだろうと思われる。

結論

ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか?
→発声器官と脳のアーキテクチャの違いによる言語能力の差により、生活圏が重なる(=生態的地位が近い)サピエンスとの競争に敗れたため。

(この差によりサピエンスは言語による知識の共有で道具等のイノベーションが進展し、集団内での役割分担や交易等による分業体制の進展で経済力を高め人口も増やしていったのである。)

補論

※2022/10/10 追記

数日前のニュースで、現世人類にネアンデルタール人のDNAが数%程度混じっている事を発見したスバンテ・ペーボ氏がノーベル医学・生理学賞を受賞するという事を知った。

2022年のノーベル生理学・医学賞に「人類の進化」の研究者https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2022/medicine/article_18.html

筆者としても「この分野で医学生理学賞を受賞できるものなのか」とあまりにも意外だったのでとても驚いている。新型コロナの世界的な流行は数年前から始まって未だに収束していないが、流行初期においてはその重症化する割合が先進国間でも大きな差が生じており、その原因についてはマスク着用率・スキンシップの有無や入浴習慣と言った文化・習慣に起因する説、BCGワクチンの接種率が関係している説など諸説が唱えられてきたが、未だにこの論争(‥というよりも諸説紛々状態というべきか)にははっきりとした決着がついていないようだ。ips細胞の研究でノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥氏ははっきりとした原因は現段階では確定できないが、とにかく何らかの未知の要因が関わっているのだろうという事で「ファクターX」と称していた。そうした中、スバンテ・ペーボ氏は新型コロナの重症化にはネアンデルタール人由来のDNAが関わっているのではないかという論文を発表し、ファクターXをネアンデルタール人由来遺伝説としたのである。こうしたタイムリーさもあって古人類学、古遺伝学と言った異色の分野の研究者がノーベル医学・生理学賞を受賞するに至ったのだろうと筆者は推測している。

また、ハラリは『サピエンス全史』において

"私たちの言語は驚くほど柔軟である、というものだ。私たちは限られた数の音声や記号をつなげて、それぞれ異なる意味を持った文をいくらでも生み出せる。"

と単語と単語を組み合わせて文章を作る言語能力こそが他の動物と異なる人類の特異な能力なのだ、という事を示唆していたが、京都大学の鈴木俊貴氏の研究によって、鳥類のシジュウカラが「単語を2つ以上組み合わせて文章を作る」「文法規則が存在する」「コガラやヤマガラ等の他の種の鳥の言語も理解できるマルチリンガルである」という言語能力を持つことが発見された。ヒト以外の動物でこのような言語能力を持つ事が実証されたのは初めてだという。

シジュウカラに「言語」能力 鳴き声をまとまりで認識―京都大

"小鳥のシジュウカラには二つの連続する鳴き声を一つのまとまりとして認識する能力があることを、京都大白眉センターの鈴木俊貴特定助教らの研究グループが4日までに発見した。二つの単語(「黒い」と「犬」)を一つのまとまり(「黒い犬」)として認識する「併合」はヒト固有の能力と考えられており、ヒト以外の動物で確認されたのは初めてという。9月24日付の英科学誌、ネイチャー・コミュニケーションズに掲載された。

犬、平均89単語を理解 カナダ研究、高い能力判明

 これまでの研究で、シジュウカラの鳴き声には警戒を促す「ピーツピ」や仲間を集める「ジジジジ」などがあり、モズなどの天敵を追い払う際には「ピーツピ・ジジジジ」と鳴くことが分かっていた。
 研究グループは国内の山林でモズの剥製とスピーカーを使い、野生のシジュウカラの群れの反応を調べる実験を実施。同じスピーカーから続けて「ピーツピ・ジジジジ」と流した場合は、多くの群れがモズを追い払う行動を取ったのに対し、2個のスピーカーから連続して「ピーツピ」「ジジジジ」と流しても、ほとんどの群れは追い払う行動を取らなかった。また、鳴き声の順番を逆にすると、どちらの場合も反応しなかったという。
 鈴木氏は、二つの鳴き声が一つのまとまったメッセージなのかをシジュウカラが認識できていると指摘。「ヒトの言語と動物のコミュニケーションには連続性や共通点もあるのではないか」と話している。(2022/10/04-13:32)"


東大の助教を辞め、5年任期の教員に…シジュウカラにすべてを捧げる「小鳥博士」の壮大すぎる野望

https://president.jp/articles/-/57657



勿論、シジュウカラがヒトのようにもっと多くの単語を組み合わせて何時間も演説や会議を続けたりといった事はできないだろうし、抽象概念を操作するといった事は今のところ確認されていないので、そういった点ではやはりヒトの言語能力の特異さは変わらないだろう。だが、これまではヒト以外の動物の言語に文法があったり文章を作ったりできるとはみなされていなかったのであるから、最近の研究成果によって、より相対化するような認識の修正をする必要が出てきたのは事実だろう。


また、今年発売された『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』という本では

"生殖に関係するX染色体の遺伝子は、デニソワ人とネアンデルタール人双方ともにホモ・サピエンス集団から排除されています。生殖に関する能力は、ホモ・サピエンスの遺伝子のほうが優秀だったようです。案外、私たちが残ったのは、単により子孫を残しやすかったためなのかもしれません。"

と指摘し、ネアンデルタール人やデニソワ人の絶滅の原因については単純にホモサピエンスの方が子孫を残しやすかった=生殖能力の差の可能性を示している。いずれにしろこの分野の研究はまだ始まったばかりであり、研究の進展に従って、ある説が覆されたり今後も色々と解明されていくのだろうから、せっかちに結論を下そうとせずに研究の進展を冷静に見守っていきたい。






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※参考文献 :
『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』、更科 功、NHK出版新書
『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』、ユヴァル・ノア・ハラリ、河出書房
『人類進化論 霊長類学からの展開』山極寿一、裳華房、2008年
『ニューステージ 新訂 生物図表』, 浜島書店, 2007年
NHKスペシャル『人類誕生』第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」



*1
ただし、遺伝子解析によれば現生人類にも数%ほどネアンデルタール人やデニソワ人のDNAが含まれており、我々はネアンデルタール人等との混血だそうだ。また、従来はアフリカ人にはネアンデルタールDNAは継承されていないと思われていたが、最近の研究ではヨーロッパ人の3分の1程度のネアンデルタールDNAが継承されている事が判明した。

※参考サイト :
アフリカ人にもネアンデルタール人DNA、定説覆す
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/020300072/?P=2

ただし、記事中の「アフリカ人」がサハラ砂漠以南の黒人を含むかどうかは不明だ。アフリカ人の定義をはっきりさせてほしい。
筆者の推測ではおそらくサハラ砂漠以北のアフリカ人のみを指していると思われる。北アフリカの人々であれば今更驚くほどでもないだろう。今から5500年前のエジプト(つまり王朝成立以前)の首長の墓からラピスラズリが発見されている。この鉱物は産地が限られ、最短距離でも3700km以上も離れた現在のアフガニスタンのバダフシャーン州でしか産出しない鉱物である。おそらく直接手に入れたのではなく、中継地であるメソポタミア地域の市場で手に入れたものだろうが、相当昔から交易は行われていた事を示している。また、起源前12世紀頃からはフェニキア人が地中海沿岸での交易を活発化させている。記事では「一部はローマ帝国の拡大によって起こった可能性がある」という趣旨の記載があるが、前述したように、ローマが勃興するはるか以前から他大陸との交易・植民等はある程度行われているので、北アフリカ地域に混血するのはそんなに驚くことでもない。そもそもアフリカとかアジアとかいう分類は恣意的なものに過ぎず、スエズ地峡で地続きなのだから少なくとも東地中海地域の間の交流のハードルはかなり低いだろう。こういう記事を見ていると、月並みな表現だが「理系」にも「文系」の素養は必要だとつくづく感じる次第だ。

*2
ただし、両種とも個体差がかなり大きい。ネアンデルタール人で大きい者では1740ccにもなるとのこと。ネアンデルタール人の中にも現生人類と同じようにデカ頭もいれば小顔美人もいたようだ。また、現在の現生人類は初期のころに比べて脳容量がやや小さくなっているようだ。豊かな生活を手に入れた結果、脳が「退化」しているのかもしれない。

※出典 : 『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』、更科 功、NHK出版新書

*3
ヒトが「ネアンデルタール人」を絶滅させた ヒトより脳も大きく、ガッシリしていたのに
https://toyokeizai.net/articles/-/208287?page=2

*4
『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』、ユヴァル・ノア・ハラリ、河出書房新社

*5
『人類進化論 霊長類学からの展開』山極寿一、裳華房、2008年

*6
『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』、更科 功、NHK出版新書

*7
ネアンデルタール人はヒトのように言葉を話すことができたのか?
https://gigazine.net/amp/20190613-did-neanderthals-speak

*8
ネアンデルタール人の「脳」、仮想立体モデルで復元 研究
https://www.afpbb.com/articles/-/3172723

*9
"小脳は筋肉に動きの指令を出すというよりも,入ってきた感覚信号を統合する役目を果たしているようだ。"
小脳の知られざる役割
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0311/cerebellum.html

やはり最近の研究の進展で悪しき要素還元主義パラダイムはどんどん駆逐されていっているようだ。「木を見て森を見ず」の要素還元主義パラダイムの弊害は大きいとつくづく感じるし、行き着く先はロボトミー手術というノーベル賞黒歴史であろう。

2020年2月1日土曜日

織田信長とアレクサンドロス大王の共通点

急に思いついたのでメモしておく。


              
共通点 織田信長 アレクサンドロス大王
父親が飛躍の基盤を築く 「尾張の虎」と呼ばれた名将・信秀が基盤を築く。

文化・学問の先進地だった京都との繋がりを重視した外交政策(例えば、公家の山科言継や飛鳥井雅綱を尾張に招き、受講料を払って和歌や蹴鞠の指導を仰いだ)。

経済政策(流通拠点・商業の重視※2)や戦略的な居城移転※3などは信長が受け継ぐ。
名将・フィリッポス2世が軍制改革や財政基盤の確立(金貨鋳造等※1)などで基盤を築く。

先進地だった古代ギリシャ南部との関係を重視した外交政策(例えば、アリストテレスを招き息子のアレクサンドロス大王の家庭教師につけた)。

マケドニア式ファランクスやペルシャ遠征などはアレクサンドロス大王が受け継ぐ。
家督継承時からの勢力急拡大。そして志半ばの急死 家督継承時の南尾張の一部※4(16万石程度?名目上は尾張守護・斯波氏の陪臣)から最盛期には700-800万石へと領土を急拡大した。

しかし、天下統一※5の志半ばで本能寺の変により急死(満年齢48歳)。
バルカン半島南部のみだった実効支配地(※名目上はコリントス同盟の盟主。同盟不参加だったスパルタを除く。)から最終的に西はエジプトから東はインダス川流域までの広大な領域へと急拡大した。

しかし、アラビア遠征の計画中に10日間高熱にうなされた後、"世界征服"の志半ばで急死(満年齢32歳)。死因は不明。
急死後、会議が開催され後継者を決定

有力家臣が実権を握り相争う展開に

結局、部外者が平和確立へ
清州会議で後継者決定

有力家臣たちによる後継者争い

結局、東の部外者である徳川家が天下統一へ(パックス・トクガワーナ)
バビロン会議で後継者決定

有力家臣たちによる後継者争い(ディアドコイ戦争)

結局、西からやってきた部外者のローマが地中海世界を統一へ(パックス・ロマーナ)

※1
フィリッポス2世が征服地の鉱山の開発により造幣した金貨。紀元前356年の古代オリンピックの戦車競走にフィリッポス2世が参加し、優勝したことを記念して作られた。表面には月桂冠をかぶったアポロン(画像左)、裏面には二頭立ての馬引き戦車(チャリオット、画像右)が描かれている。

※2
信長は清州城→小牧山城→岐阜城→安土城と戦略的に居城を変えていったが、これは父・信秀のやり方に倣ったものである。信秀も勝幡城→那古野城→古渡城→末盛城と戦略的に居城を変えている。これは躑躅ヶ崎館を生涯居城とした武田信玄や春日山城の上杉謙信、毛利家の家督継承後は吉田郡山城を動かなかった毛利元就、氏綱以降の4代にわたり小田原城を動かなかった北条氏に比べると珍しいことであった。

※3
信秀は港町で門前町でもある津島と熱田を抑えていた。このように重要な流通拠点・商業地を抑えることで守護代をしのぐ経済力をもち、主導権を握ることにつながった。
信長は足利義昭から副将軍か管領への就任打診を受けたことがあったが、これを蹴って代わりに堺、大津、草津という重要な流通拠点の支配権を望んだ。これは形骸化した官位よりも流通拠点の徴税権の方が役立つというのを父親の経験から身をもって学んでいたからなのである。

※4
一説には信秀のピーク時の勢力圏が尾張+美濃南部+三河西部といえるほど勢いがあったと言われている。だが第二次小豆坂の戦いで太原雪斎率いる今川軍に敗れて以降、西三河を失うなどして勢いを失った。その後は尾張守護代との関係悪化や病気で寝込みがちになって政務もあまりこなせなくなる等して、病死の直前には尾張一国すら束ねることができなくなってしまった。よって信長の家督継承時の勢力圏は尾張の一部でしかなかったわけである。

※5
この場合の「天下」が何を指すかは難しい問題かもしれない。時代によっても文脈によっても範囲が異なるようで、畿内周辺のみを指す場合もあるようだ(当時作られた日葡辞書で解説されている)。ただ信長は生前に明国の征服構想を語っており、秀吉もその遺志を受け継いで実行に移している(文禄・慶長の役)。秀吉は関東・東北への総無事令(私戦停止令)を出す以前、九州平定の際に朝鮮国王へ臣下の礼をとるように書簡を送っている。おそらく秀吉にとっては、朝鮮国も数ある諸大名の中の一つという認識だったのではないかと思われる。また秀吉はゴアのインド副王(ポルトガル領)とマニラのフィリピン総督(スペイン領)にも帰順を促す書状を送っている。こういった事実から推測すると、少なくとも秀吉の感覚だと天下の範囲=日本列島と限定しているわけではなさそうだと個人的には思える。当時の東アジアの国際秩序は現在の主権国家体制とは異なるので、現在の国境概念をそのまま当てはめることはできないだろう。そうすると、信長も(実現可能かどうかはともかく)ある意味で"世界征服"を目指していた可能性はある。