【東アジア】
※日本:27.5-30%
ドーアによる1870年頃の推測値。著書には「どんな資料から推定しても、1870年頃には各年齢層の男子の40-45%、女子の15%が日本語の読み書き算数を一応こなし、自国の歴史、地理を多少はわきまえていたとみなしてよさそうである。」とある。
出典:『学歴社会 新しい文明病』 P.55, R.P.ドーア
※清(中国):16-27.5%
Sakakida Rawskiによる推測値。著書には「18世紀から19世紀にかけては、おそらく男が30-45%, 女は2-10%がいくらかの読み書きが可能であった。」(拙訳)とある。
出典:『Education and Popular Literacy in Ch'ing China』P.23, Evelyn Sakakida Rawski, 1979年
なお『詳説 世界史研究』(P.402, 2000年発行)では清末の識字率は10%以下となっているが、出典不明であり李氏朝鮮と比べてもあまりに低すぎると思われるので採用しなかった。
※李氏朝鮮:16-20%
朝鮮総督府による国勢調査(1930年)からの筆者による大雑把な推測。
(1930年時点でハングルの読み書きができるものの割合が60歳以上の朝鮮人で約20%)
出典:『朝鮮国勢調査報告. 昭和5年 全鮮編 第1卷 結果表』, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号63
推測の際の参考サイトは以下になる。
『データで見る植民地朝鮮史』
"併合のかなり前から朝鮮・韓国自前で、16~20%程度の識字率を確保し、漸次改善していた事をこのデータは強く示唆しています。"
李氏朝鮮末期の1894~1897年にかけて4度の調査旅行を行ったイザベラ・バードは著作で「小集落は別として、漢江沿いの村々には学校がある。ただし学校と行っても私塾である。家々でお金を出しあって教師を雇っているが、生徒は文人階級の子弟に限られ、学習するのは漢文のみで、これはあらゆる朝鮮人の野心の的である官職への足掛かりなのである。諺文[ハングル]は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。とはいえ、私の観察したところでは、漢江沿いに住む下層階級の男たちの大多数はこの国固有の文字が読める。」と記しており、少なくとも首都ソウルの近辺である漢江沿いでは村組合型の書堂(ソダン)が各村に存在し、多くの男が識字能力を備えていたことがうかがい知れる。
出典:『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』イザベラ・バード著、時岡敬子訳, P.111
【ヨーロッパ】
欧州諸国の数字の出典は全て以下になる。
『読み書きの社会史 文盲から文明へ』, カルロ M.チポラ, 統計補遺のP.2
※スウェーデン:90%
調査年1850年。
※プロイセン(ドイツ):80%
調査年1849年。
※イングランド・ウェールズ:67-70%
調査年1851年。
※フランス:55-60%
調査年1851年。
※スペイン:25%
調査年1857年。
※イタリア:20-25%
調査年不明。筆者の主観では低すぎる気もするが南北格差が影響している?
※ロシア:5-10%
調査年1850年。あまりにも低いので驚いた。ただ岩倉使節団のペテルブルク訪問では「貴族の館だけは立派だが、それ以外はわびしい」という報告があり、未だ農奴制が強固である事と矛盾しない。
【その他】
※アメリカ:80%
合衆国センサス(1870年)。
白人88%、非白人20%。
出典:『読み書きの社会史 文盲から文明へ』, カルロ M.チポラ, P.83
※メキシコ:20%
1910年頃。
出典 : 『概説メキシコ史』, 有斐閣選書, P.100
※トルコ:10.6%
1927年、男17.4%, 女4.7%。
出典 : 『近代中東・イスラーム世界におけるプリント・メディアの歴史と構造』P2, 平野淳一, 情報処理学会研究報告
※エジプト:7%
1907年、男13%, 女1%。
出典 : 『近代中東・イスラーム世界におけるプリント・メディアの歴史と構造』, P5, 平野淳一(情報処理学会研究報告)
リンク先は上記に記載。
※インド:3.5%
1881年。
出典:『A students' history of education in India (1800–1973)』SYED NURULLAH, J. P. NAIK
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