共通点 | 織田信長 | アレクサンドロス大王 |
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父親が飛躍の基盤を築く | 「尾張の虎」と呼ばれた名将・信秀が基盤を築く。 文化・学問の先進地だった京都との繋がりを重視した外交政策(例えば、公家の山科言継や飛鳥井雅綱を尾張に招き、受講料を払って和歌や蹴鞠の指導を仰いだ)。 経済政策(流通拠点・商業の重視※2)や戦略的な居城移転※3などは信長が受け継ぐ。 |
名将・フィリッポス2世が軍制改革や財政基盤の確立(金貨鋳造等※1)などで基盤を築く。
先進地だった古代ギリシャ南部との関係を重視した外交政策(例えば、アリストテレスを招き息子のアレクサンドロス大王の家庭教師につけた)。 マケドニア式ファランクスやペルシャ遠征などはアレクサンドロス大王が受け継ぐ。 |
家督継承時からの勢力急拡大。そして志半ばの急死 | 家督継承時の南尾張の一部※4(16万石程度?名目上は尾張守護・斯波氏の陪臣)から最盛期には700-800万石へと領土を急拡大した。 しかし、天下統一※5の志半ばで本能寺の変により急死(満年齢48歳)。 |
バルカン半島南部のみだった実効支配地(※名目上はコリントス同盟の盟主。同盟不参加だったスパルタを除く。)から最終的に西はエジプトから東はインダス川流域までの広大な領域へと急拡大した。 しかし、アラビア遠征の計画中に10日間高熱にうなされた後、"世界征服"の志半ばで急死(満年齢32歳)。死因は不明。 |
急死後、会議が開催され後継者を決定 ↓ 有力家臣が実権を握り相争う展開に ↓ 結局、部外者が平和確立へ |
清州会議で後継者決定 ↓ 有力家臣たちによる後継者争い ↓ 結局、東の部外者である徳川家が天下統一へ(パックス・トクガワーナ) |
バビロン会議で後継者決定 ↓ 有力家臣たちによる後継者争い(ディアドコイ戦争) ↓ 結局、西からやってきた部外者のローマが地中海世界を統一へ(パックス・ロマーナ) |
※1
フィリッポス2世が征服地の鉱山の開発により造幣した金貨。紀元前356年の古代オリンピックの戦車競走にフィリッポス2世が参加し、優勝したことを記念して作られた。表面には月桂冠をかぶったアポロン(画像左)、裏面には二頭立ての馬引き戦車(チャリオット、画像右)が描かれている。
※2
信長は清州城→小牧山城→岐阜城→安土城と戦略的に居城を変えていったが、これは父・信秀のやり方に倣ったものである。信秀も勝幡城→那古野城→古渡城→末盛城と戦略的に居城を変えている。これは躑躅ヶ崎館を生涯居城とした武田信玄や春日山城の上杉謙信、毛利家の家督継承後は吉田郡山城を動かなかった毛利元就、氏綱以降の4代にわたり小田原城を動かなかった北条氏に比べると珍しいことであった。
※3
信秀は港町で門前町でもある津島と熱田を抑えていた。このように重要な流通拠点・商業地を抑えることで守護代をしのぐ経済力をもち、主導権を握ることにつながった。
信長は足利義昭から副将軍か管領への就任打診を受けたことがあったが、これを蹴って代わりに堺、大津、草津という重要な流通拠点の支配権を望んだ。これは形骸化した官位よりも流通拠点の徴税権の方が役立つというのを父親の経験から身をもって学んでいたからなのである。
※4
一説には信秀のピーク時の勢力圏が尾張+美濃南部+三河西部といえるほど勢いがあったと言われている。だが第二次小豆坂の戦いで太原雪斎率いる今川軍に敗れて以降、西三河を失うなどして勢いを失った。その後は尾張守護代との関係悪化や病気で寝込みがちになって政務もあまりこなせなくなる等して、病死の直前には尾張一国すら束ねることができなくなってしまった。よって信長の家督継承時の勢力圏は尾張の一部でしかなかったわけである。
※5
この場合の「天下」が何を指すかは難しい問題かもしれない。時代によっても文脈によっても範囲が異なるようで、畿内周辺のみを指す場合もあるようだ(当時作られた日葡辞書で解説されている)。ただ信長は生前に明国の征服構想を語っており、秀吉もその遺志を受け継いで実行に移している(文禄・慶長の役)。秀吉は関東・東北への総無事令(私戦停止令)を出す以前、九州平定の際に朝鮮国王へ臣下の礼をとるように書簡を送っている。おそらく秀吉にとっては、朝鮮国も数ある諸大名の中の一つという認識だったのではないかと思われる。また秀吉はゴアのインド副王(ポルトガル領)とマニラのフィリピン総督(スペイン領)にも帰順を促す書状を送っている。こういった事実から推測すると、少なくとも秀吉の感覚だと天下の範囲=日本列島と限定しているわけではなさそうだと個人的には思える。当時の東アジアの国際秩序は現在の主権国家体制とは異なるので、現在の国境概念をそのまま当てはめることはできないだろう。そうすると、信長も(実現可能かどうかはともかく)ある意味で"世界征服"を目指していた可能性はある。
※参考文献 :
谷口克広『天下人の父・織田信秀』、祥伝社新書、2017年
原隨園『アレクサンドロス大王の父』、新潮選書、1974年
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