2020年6月30日火曜日

NHKスペシャル 戦国 ―激動の世界と日本― (1)を視聴した感想

NHKスペシャル 戦国 ―激動の世界と日本― (1)「秘められた征服計画 織田信長×宣教師」を視聴した。

以下、感想を箇条書き。


・長篠の戦いや山崎の戦いの背後にはカトリックの宣教師達が暗躍していて、勝敗の決定に重要な役割を演じたという論調だったが、言い過ぎだろう。どう贔屓目に見ても勝敗を左右するほど宣教師の役割は大きくない。twitterの戦国クラスタ界隈では評判がボロクソだったと聞いたが、さもありなん。長篠の戦いで使われた信長側の鉄砲玉の原料である鉛はタイから輸入していたものが多かったようで、その交易には宣教師が関わっていたらしい。だが、いわゆる大航海時代以前は琉球が東南アジアと東アジアの間の中継貿易に重要な役割を担っていたりしたわけで、ポルトガルやスペインが担う必然性は全くない。それよりも重要なのは信長が南蛮貿易の拠点の堺を抑えてたことが大きいだろう。また、山崎の戦いに関しても、イエズス会がキリシタン大名の高山右近に秀吉に味方するように説得したことが勝敗を左右した、というような論調だったが、これもこじつけに過ぎない。摂津衆の動向は重要だったのは事実だが、摂津衆トリオの内キリシタンだったのは右近だけで中川清秀と池田恒興は非キリシタンだし、明智光秀も宣教師を通じて右近を味方に引き入れようとしていたはずだし、筒井順慶や丹後の細川等の他の勢力の動向も重要だった訳である。自説に都合のよい事実のみを掲示するというのは良くあるパターンだが、この程度なら戦国時代に詳しい人には簡単に見破られてしまう程レベルが低い。 これはイエズス会が自分の手柄で秀吉を勝利に導いたんだというある種の自慢話を無批判に垂れ流しているか、番組のテーマにこじつけて無理やり説明しているに過ぎない。結論ありきで番組作ると「何でもテーマにこじつけて説明してしまう」という典型的な例になってしまっている。また、イエズズ会の資料ばかり見ると「当時のイエズズ会は世界を動かしていた」みたいな錯覚(偏った見方)に陥ってしまったというのもあるかもしれない。

・「仏教勢力(石山本願寺)の排除に宣教師が積極的に関わっていた」らしい。織田信長は高山右近を中心としたキリシタンの援軍1万人を得て本願寺の武装解除に成功したという。確かに石山(大坂)と高槻は近いし、近くの堺は南蛮貿易の拠点で宣教師の出入りや教会や神学校も幾つかあったはず。そういう面から考えると石山合戦での宣教師やキリシタン大名の役割は確かに大きかったかもしれない。こうしてみると石山合戦はそれなりに説得力があるが、長篠や山崎はこじつけだと思える。大風呂敷を広過ぎた。

・「戦国時代の日本は軍事的に急速に発展し、世界一の銃大国になった」らしい。ノエル・ペリンの『鉄砲を捨てた日本人』が元ネタだろう。この点については、ノエル・ペリンの著作は未読だし詳しく調べたこともないので評価しようもない。ただ、平原やなだらかな丘陵が多いヨーロッパは大砲も重要で、平地が少なく急峻な山地が多い日本は地形的に機動性の劣る大砲は適さないみたいで大砲を使う戦術は発達しなかった。時代は少し前で、地域も違うが、中東版の長篠の戦いである「チャルディラーンの戦い」やインド版の長篠の戦いである「第一次パーニーパットの戦い」でも大砲は重要な火力兵器だったので、大砲戦術が発達しなかった日本は珍しいと言えるかもしれない。というか、火縄銃は日本刀製造の鍛造の技術の応用(転用?)で国産化がスムーズだったが、大砲は鋳造技術が必要だったので当時の日本の技術では国産化は不可能だったはず。(※鍛造では大型化に限界があるため。だから大砲だけは最後まで輸入に頼った。大坂の陣で家康が用いて淀殿の侍女を死に追いやった大砲はイギリス製。また、島原の乱において海上から大砲で擁護射撃をしたのはオランダ船であった。) また、海軍での火力は大砲がメインだったので、そういう意味では当時の日本の「海軍力」という意味でも疑問符が付く。よってそれら大砲も含めた総合的な火力ではどうだったか分からない。おそらく日本よりも総合火力に勝っていた可能性があったのはスペインやオスマン帝国ぐらいだろう。当時人口が世界一だった中国(明)に関しては銃所持が多かったとは聞かない。中国製の青銅銃は数発撃っただけで銃口が損傷して使いものにならなくなる等耐久性に問題があったようだ。だから中国は銃の数もスペックも比較的劣っていたと思われる。(※文禄・慶長の役では明軍は日本の火縄銃に苦戦した。その時の日本の戦争捕虜を火縄銃部隊に編成し、北方の遊牧民との戦いに当たらせる等重宝した。)  以上の事を考慮すると、「世界一の銃大国」だったという宣伝文句は総合的な火力という点で見ると疑問符がつくが、当時世界的にも有数の火力を持っていた銃大国だったのは間違いないだろう。

・秀吉の朝鮮出兵で先陣にキリシタン大名が多かったが、それはキリスト教のイメージが急速に悪化して伴天連追放令を既に出していた秀吉が意図的にそうしたとしたうえで「キリスト教の影響力を削ごうとする秀吉の戦略だった」というポルトガルの学者の説を紹介していた。



しかし、大きな違和感がある。実際は朝鮮に近い九州の大名を先陣にしたという兵站面が理由だろう。だからキリシタン大名が多かったのは偶然であり、意図した結果ではない。『素人は戦略を語り、プロは兵站を語る』というクレフェルトの格言が身に染みる。当初はこの言葉は上から目線で偉そうな感じであまり好きではなかったが、なるほどこの手の輩が跋扈しているという文脈で出てきた言葉なんだと考え直した。


・「世界大戦争が勃発する直前だった!」と煽っていたが、当時の交通・輸送、通信の技術水準を考えるとコストも時間もかかり過ぎて莫大なコストかけるだけのメリットは薄いので、大戦争起こす動機に乏しい。というか当時のポルトガルは海外に進出しすぎて本国の人口が減って逆に衰退の一因になったという説もあるぐらい。当時のポルトガルなんてせいぜい人口150万人の小国に過ぎない。戦国時代の大大名クラスでしかなく、上洛前の信長や武田信玄、毛利元就の最盛期の石高と同じ程度の国力で、九州統一直前までいった島津の最盛期(200万石)や北条の最盛期(250万石)にすら及ぼない。だからこの程度の国力(人的資源)では、アフリカやアジアの交易拠点である商館兼要塞という「点の支配」とそれらを結ぶ航海ルートの「線の支配」を維持するので精一杯だった(新大陸のブラジル除く)。しかも、あまり知られていない事だが、この後の時代でオスマン帝国がポルトガルに奪われてたアデンを取り返して紅海経由の香料流通ルートが復活したり、インド洋の制海権をオマーンが奪取して東アフリカに影響力を及ぼしたりとイスラム側の巻き返しもあった(※エチオピア正教会とか『シヴァの女王伝説』等、昔からパレスチナ・アラビア半島と東アフリカは密接な交流があった。アジアやアフリカという区分は古代ギリシャに由来する恣意的な区分に過ぎない)。ポルトガル程度の小国では多方面に対処しきれずとても太刀打ちできなかった。ではなぜポルトガル系と言われるイエズス会が幅を利かせていたのかというと、カトリック圏の組織だからカトリックが強い南西ヨーロッパから広く人材等のリソースを集めることができたからである。そもそもイエズス会が結成されたのはパリ大学だし(義兄弟による「桃園の誓い」‥ではなく創設メンバーによる「モンマルトルの誓い」)、創設メンバーの多くはスペイン人だったし(内訳はスペイン人5人、ポルトガル人1人、フランス人1人)、本部は結局ローマに落ち着いた。来日経験のあるイエズス会の宣教師の出身を見ると、オルガンティノやヴァリニャーノは今のイタリア出身だし、ザビエルやコスメ・デ・トーレスはスペイン出身なのでポルトガル人以外も数多くいたのである。だから、イエズス会という組織はポルトガルと結び付きポルトガル国王の庇護を得て布教していたものの、基本的にローマ・カトリックの下部組織なので小国の色々な厳しい資源制約には縛られなかったのである。


また、スペインもスペインでマニラの建設も始まったばかりのはず。実現可能性はとても低くほとんどアジア征服はほぼ口先だけだと思える。計画倒れなのは当時の情勢とか技術水準とかいくつかの要因を考慮すると当然の成り行きだったのではないか。秀吉のアジア制覇も結局、朝鮮での足掛かりすら維持できずに失敗したわけで。ただ、これよりも100年以上後の七年戦争はガチの世界大戦争だったといえるかも。北米のインディアンやムガル帝国も巻き込んだ英仏間の覇権をめぐる戦争で、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカという四大陸にまたがって連動しておきた初の「グローバル規模の戦争」だった。なので、ある意味では七年戦争こそが「第一次世界大戦」だったといえるかもしれない。いずれにしろ、この当時の西葡は七年戦争の頃の英仏のように各大陸に地盤をきっちり固めていたともいえないし、状況が異なるので実現可能性はやはりかなり低そうだ。


‥とここまではボロクソに批評してきたが、評価できる点もある。一つは「これまで長篠の戦いは織田の鉄砲隊 VS 武田の騎馬隊と言われてきたが、実は武田側にも鉄砲隊が存在した」と視聴者に伝えたこと。

実は鉄砲の装備率は織田軍と武田軍も同じぐらいだった。勿論、織田軍の兵数の方が多いから絶対数では織田側が多いが、武田勝頼が鉄砲の重要性をちゃんと認識していたのは長篠以前の勝頼の発給文書からも伺える。ただ、火薬の原料の一つである硝石は日本では取れないので、輸入に頼るか、人口的に作り出すしかない。人口的に作る技術は未発達だったはずだから、前述したように堺を抑えていた信長が硝石の流通を制御して武田に弾薬が渡らないようにしてた(経済封鎖してた)ように記憶している。そこはあまり詳しくないし、記憶があやふやだが‥。だから装備率は変わらなくても武田側は火薬は不足気味だったかもしれない。

もう1点は「実は多くの宣教師が布教だけでは無く、日本や中国の征服計画に積極的に動こうとしていたこと」を広く知らしめたこと。筆者もその辺の認識はあやふやで宣教師の中でも意見が割れていたように思っていた。だが、この番組にインスパイアされて番組のネタ元の1つである中公新書の『戦国日本と大航海時代』の関係箇所を読んでみると、実は多くの宣教師が征服計画に積極的で疑問視していたのは少数派だったようだ。また、番組でも触れられていたが、「中国人はなかなか改宗に応じないので日本の軍事力を利用して中国を征服する」という計画があった。これを最初聞くと斜め上の発想で仰天すると思うが、敵対的な民族やら派閥を味方にして滅亡においやったインカやアステカの成功例をなぞるつもりだったのだろう。勿論、当時の日本も明(中国)も戦争捕虜の心臓を生きたままえぐって生け贄にするような事はしていないので同じ手は通用しないのであるが。