2020年7月7日火曜日

NHK スペシャル『戦国~激動の世界と日本~ 第2集 』を視聴した感想

前回に続き、『戦国~激動の世界と日本~ 第2集 ジャパン・シルバーを獲得せよ 徳川家康×オランダ』を視聴した感想を以下に箇条書き。

・「これまで日本国内の出来事として描かれてきた戦国時代。ところが今、世界各地で新発見が相次いでいます。そこから、日本とヨーロッパの覇権争いが深く結びついてきた事が分かってきました。」とナレーション。「国内の出来事として描いてきた」というのは大河ドラマや歴史秘話ヒストリア等のNHKの番組的には、という事だろう。大航海時代が始まって、地球の裏側と直接人の行き交うことが可能になった時代(いわゆる第一次グローバル化)なのだから、あの時代の「地球規模での意外な繋がり」は詳しい人なら分かりきっていることではあるが。それに山田長政の話は江戸時代から知られているはずで高校日本史の教科書にも載ってるはずだし(※話に尾ひれついていて「伝説化」してるし実在を疑う学者もいるので眉唾物だが)、アンボイナ事件も高校世界史の教科書に載っている(※日本人傭兵の関わりまでは載っていなかったかも)。そして戦前にはタイオワン事件が戦意高揚のためにピックアップされたりしている。個別の詳細な事柄が新史料発見によって明らかになってきた部分は幾つかあるのだろうが、大枠の話は相当前から知られた話で、今更何をかいわんやという話だ。「遺伝法則の再発見」ならぬ「歴史の再発見」とでも言うべきか。NHKスペシャルの視聴者層の幅広さから考えると「戦国時代の地球規模での意外な繋がり」を伝える意義はあると思うが、「新発見ありました」と誇大広告気味に伝える必要は全くない。

・「日本は当時世界の3分の1の銀を産出していた銀大国。その銀を巡ってスペインとオランダが世界の覇権を争った」みたいなナレ。「覇権レース」にはイギリスも存在したし、この時期はポルトガルはスペインと同君連合だったとはいえこの後再独立してオランダに奪われたブラジルの砂糖生産地を取り返したりしているわけで、プレーヤーがスペインとオランダだけってのは単純化し過ぎでは‥と色々突っ込みたくなってきた。あまりに複雑化させるといろんな視聴者が見ている以上、混乱してきて伝えたい事が伝わないという本末転倒になってしまうというのは分かるが。それでも所々の大袈裟な表現で引っかかってモヤモヤする。

・ポメランツが登場。著書を読んだことはあるが、姿や肉声までは見た事は無かったので「こんな顔してこんな肉声している人だったんだ」と親近感が湧き感慨深かった。

「戦国時代の日本はまさに世界史の最前線だったのです。」
‥ちょっとリップサービスが入ってるかな。

「ヨーロッパ中心の歴史観を改めなければならないでしょう」
‥それ、100年以上前からずっと言われ続けてますね(笑)。シュペングラーの『西洋の没落』から始まってトインビーやマクニール辺りまでずっと断続的に。まあ著書を読んだ印象や日本の学者の間の評判で判断る限り、その中でもポメランツはアンチヨーロッパ中心史観に逆張りし過ぎな気もするが(笑)

・オランダが日本まで進出し徳川家康に営業攻勢をかけてきた背景として「スペインから独立したオランダは富国強兵のために海外進出した」とナレーション。
う~ん、17世紀辺りはオランダの貿易の中心はバルト海や北海の域内貿易がメインだし、元々フランドル地方は中世後期頃から商工業の先進地だし、富国強兵のためにわざわざ日本に営業攻勢にくるというのは違和感がある。日本の「明治維新」だって国内改革→海外進出だから時系列が違う。ポルトガルやスペインは海外進出し過ぎて逆に本国が疎かになってしまった感があるし。

・海外進出の動機は各々

オランダは商業目的
スペインは布教と領土

と解説していた。少し単純化し過ぎでは?‥とも思ったが、あながち間違いでもないか。比重で言えばその目的がメインなのはその通りだろう。正確に言うとオランダ東インド会社は利益優先(今のインドネシア辺りで細細と布教もやっていたりするがスペイン並に本腰入れてなかったはず。)だが、西インド会社は布教も目的の一つだった。まあ西の方は東に比べて規模も小さいし振るわなかったが。現在の旧オランダ領と旧スペイン領のキリスト教徒の割合見ても両国の布教の本気度の違いがはっきりと分かるね。旧スペイン領の地名(サンフランシスコとかロサンゼルスとかサンアントニオとかアスンシオンとかサンティアゴとか)見てもカトリック由来が多いしね。

当時の統計ではスペインの海外進出者の9割は宗教関係者と公務員(宣教師や役人、兵士)で占められており、残り1割は自由業という区分だった。その自由業には医者も含まれている。商人の割合は僅かに5%だった。(オランダは未調査。)こういう数字からも両国の違いは浮かび上がってくる。来日した面々見てもスペイン・ポルトガルは宣教師ばかり目立つし、オランダ・イギリスの面々は全然様相が違う。家康の外交顧問となった三浦按針(ウィリアム・アダムズ)は船大工や航海士だし(スペインの無敵艦隊を破ったアルマダ海戦では船長として参加していた)、オランダは東インド会社関係者が目立つし。


・「スペインに取って代わって世界の覇権を握ったのはオランダ」みたいな論調だったが、スペインやポルトガルががっちり基盤を固めていた新大陸の大部分・西アフリカ・フィリピンあたりはオランダは手が出なかった。ブラジル沿岸部の砂糖生産地はオランダが奪った後ポルトガルが奪い返してる。これは正しいか、間違いかというより「物事の捉え方」の問題かもしれない。その捉え方も注意を要するが。領土主張はあくまでヨーロッパ向けの領有宣言(無主地先占ルール)であって、実効支配が伴っているとは限らない。結局フィリピンもアメリカに譲るまでスペインの実効支配が及ばなかった地域が存在していたし。

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